自由を奪う友達はいらない

ひとりぼっち

kindleで購入した「ひとりぼっちを笑うな (角川oneテーマ21)」を読みました。その中で共感した箇所をいくつか挙げていきたいと思います。

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誘いを断れない友だちはいらない

いまの時代、「友だち」や「仲間」、あるいは「つながり」や「絆」を、必要以上に重く考える傾向があると思います。でも、そうまでして「友だち」って必要なのかなあ。たとえば、「友だちから言われたことは断れない」これは違う。(中略)

もし、誘いを断れないような存在を「友だち」と呼ぶのなら、僕は「友だち」なんていらないと思うんです。

友達がいないことをやたらと気にする人がいますが、何か友達の数というものが自分にとってのステータスみたいになっているのでしょうか。

友達100人できるかな?みたいな歌を子供の時に歌ったりしましたし実際そう思っていてもおかしくはないかもしれません。SNS上でもやたらとフォロワーの数を気にする人っていますし。

そんな友達との関係を維持しようとするあまり、身動きがとりづらくなって息苦しくなっていないでしょうか?

グループ、集団というものを形成してしまうと他人の目が気になってしまって個人の感情や欲求というものは埋没してしまいがちです。

もっと身軽になってみましょう。もしも友達と連絡が取れなくなって会わなくなってしまったとしても意外と何ともないです。

迎合する姿が喜劇に見える

そういう儀式みたいなものに参加して、一生懸命みんなと同じようなフリをして、どうにか迎合しようとしている自分自身がものすごくおかしくなってしまうんです。

そこに悪意があるわけではないし、失礼なことをしたいと思っているわけでもありません。ただ、一度笑ってしまうと、自分ではどうにも止められないだけ。

これは私も経験あります。私の場合は笑うというよりも、演じている自分を客観的に見てしまってその姿があまりにも滑稽で恥ずかしくなってしまうような感じです。

また演じている自分をどこか気持ち悪いと思ってしまいます。

他人の結婚式や会社の飲み会なんかでもそうです。

まったく楽しくもないし興味もないのに、その空間で行われている儀式に参加している一員として演技している自分が恥ずかしくてしょうがないし何か情けない気持ちになってしまいます。

そして逆にそういう演技をして何とも思っていない人達って私から見るととても不気味でどこか気持ち悪い印象を受けてしまいます。

まるでその場には存在せず、テレビの中から話しかけているような、テレビドラマのように芝居をする人達。彼ら彼女らのことを私は勝手に「テレビ人間」と名付けています。

仕事は自由とお金を得る手段

僕からすると、「仕事は自己表現する場」なんていう思考は、よく理解できないかもしれない。それよりもなによりも、自分の自由時間のほうがよっぽど大事。その自由のために、はたらいていると言っても過言ではありません。

雇われて職場に行って働いて稼ぐということはお金を得る手段の1つでありそれ以上でもそれ以下でもないと思っています。

仕事を何か崇高なものであるとして、それに人生を捧げることこそ素晴らしいみたいな考えは私にはありません。

所詮仕事なんてその程度でいいと思っています。仕事をするために生きているわけじゃないですし。仕事の為に生活を犠牲にするなんて本末転倒です。

限界に近づいたら迷わず逃げる

自分のなかで限界がきているようだったら、そのときは迷わず逃げていいと思う。ときには逃げ出すことも必要ですよ。逃げてばっかりはダメだけど、人生のなかで何度かは、別に逃げ出してもいいんじゃないかなあ。僕は自分の経験からそう思っているんです。

逃げるということに対して何かとネガティブに捉えがちですが、時と場合によっては非常に有効な戦略だと思います。

我慢したってどうにもならない時だってあります。立ち向かってもどうしようもない時だってあります。

自分が所属している場所が自分のいるべき場所ではないと思ったら、限界になる前に逃げましょう。限界まで我慢しても自分の体や心が駄目になってしまうだけです。

会社がなんとかしてくれるわけではありません。自分の身は自分で守りましょう。

これらの考え方を持つ人って世の中に意外と結構いると思うのですがみんな他人や周りを意識してしまって自分を抑えているんじゃないでしょうか。

みんなそういう一面を持っているからこそ、この本に共感したはずです。

ありのままの自分であることの大切さ、そしてそれを貫き通す意志力を鍛える為にも、自分の進むべき道を歩んでいかなければいけませんね。

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