「もっと申し訳なさそうにしろ!」謝罪評論家を目の前にして思うこと

申し訳なさそうにしろ

職場でちょっとした事件があり、当事者が自宅待機となりました。

待機後、職場に顔を出した当事者に対して、私が所属している部署の同僚が「もっと申し訳なさそうにしろよなあいつ」と苦笑いをしながら愚痴ってました。

また当事者と同じ部署の人間も、こちらにイライラを吐き出すように、声を荒げながら「まるで反省しているような態度に見えない」と当事者の態度を批判。

その時疑問に思ったんですが、「申し訳なさそうにしろ」って怒っているこの人達って、一体どのくらい申し訳なさそうにすれば満足なんでしょうか。

当の本人は出勤時に、「ご迷惑をおかけしました」と謝ったし頭も下げてました。

「別にそれで十分なんじゃないの?」って私は思ったんですけど、全然その人達の『申し訳なさの合格点』に到達できていなかったみたいです。

何故か異常に態度を気にするんですよねその人達って。

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謝罪を評価している人は演技力を見ている

涙を流しながら謝り倒したり、土下座をして許しを請うたりしないと駄目なんでしょうか?

「いやいやそこまでしなくても、ちゃんとその人から誠意や誠実さが感じられたらそれでいいよ」って言っても、人によってその感じる感じないの幅がありますよね。

一人ひとりの幅に対応した謝罪ってできるものなんですか?

誠意や誠実さをいかに表現するかみたいになると、演技力勝負になっちゃいません?演技が上手なら許されて演技が下手だと許されないみたいな。

演技力の上手い下手を気にしてもしょうがなくないですか?他人の思ってることなんて、それこそ態度だけじゃ分からないし、態度だけじゃ全てを表すこともできないし。

みんなの同情を引く名謝罪をしている人間も、心の中では舌を出しているかもしれません。

何か謝罪をしている人間の態度というものに、過剰な信頼を寄せているのが不思議な感じがします。

他人に対して容赦がない

確かに自宅待機処分となってしまった当事者が悪いと言えば悪いのですが、そこにつけ込んで相手を徹底的に批判したり、悪口や文句を言うのってどうなんでしょう。

自分には失敗をした人間を裁き、謝罪させる権利があるとでも思っているんでしょうか。

攻撃してもいい相手を見つけると、本当に容赦というものがありません。

今回は自分じゃなくて他人が標的でしたけど、いつか自分の身に対しても起こる可能性って十分ありますよ。不慮の事故とか色々ね。

そういう時どうするんでしょう。よっぽど自分の謝罪の表現方法に自信を持っているんでしょうか。それとも自分がそういう立場になるという考えがないのか。

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理性的にそして寛容に

何か寄ってたかってグチグチと集団の悪いところが出てるなあって感じがしました。まあ、あまり気分のいいものではなかったですね。

もし失敗を犯した当事者が、常日頃恨みを買うような発言をしていたとしても、感情的にならないで切り離すべきだと思うんですよ。理性的にならないと。他人と何かする時というのは。

もっとお互いに寛容になったほうが楽ですよ。許せるを心持ちましょう。

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